心を研ぎ澄まし豊かに生きる方法

メッセージを読み解く

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もう半年くらい前のことだが、

2歳の甥っ子と一緒にご飯を食べていたときのこと。

 

 

活発で元気な彼は、大抵、皆がごはんを食べている周りを走り回って、

ごはんを食べることより、遊びに夢中になっている。

 

その日は、なぜかぼくの懐に飛び込んできて、

「ゆうたん。ゆうたん」

と、やたらと声をかけてくれた!

 

1ヶ月に2、3回しか会わないというのに、なんて愛らしいのだ!

と思ったのだが、

 

どうも視線の先がおかしい。

 

ぼくを見ているわけではなく、

遥か彼方、上を見上げている。

 

そっと上を見てみると、

 

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「頭がツルツルの爺ちゃんの写真だ。」

 

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いや、待て!

似てるけど、違うぞ!間違ってるぞ!

 

 

というわけで、

このように、ぼくたちは身の周りに存在するたくさんのメッセージを解読し、

世界を認識しています。

 

 

メッセージはその解釈の仕方を知っていれば、ぼくたちに何かを伝えてくれるし、

その意味を読み解くスキルや情報を手にしていなければ、全く意味をなさないものです。

 

 

 

 

メッセージとはどのようなものなのか?

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雪に残る動物の足跡は?

 

崖の地層は?

地質学者にとってみれば、それはメッセージです。

 

畑の植物の葉の色合いの違いは?

農夫にとってみれば、それはメッセージです。

 

信号機は?

 

かわいいあの子がこっちを見て微笑んでいる姿は?

 

 

 

 

古代のポリネシア人は海の波を見て、

数千キロ離れた陸地の大きさや形、大きさを言い当てることができたそうです。

 

エリアス・ハウはある日、

恐ろしい原住民に穂先に穴の空いた槍で襲われる夢を見ました。

その夢のメッセージから、ハウは縫い針の先に穴を開けて、ミシンを発明しました。

 

 

 

つまり、ぼくたちの周りに存在する

あらゆるパターンや形、現象は全てメッセージだと言えます。

 

 

メッセージは、ぼくたちがそれを読み解く技術や知識を

持ち合わせているかどうかで、理解が変わってきます。

 

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生まれたばかりの子どもをみていると、この世に存在する様々なメッセージを

解読する能力をものすごい勢いで発達させているように思います。

 

 

生涯を通して、その能力を伸ばし続けることもできるのだと思いますが、

残念なことに、僕たちは往々にして、その能力を失いやすいものだとも思います。

 

  

 

 

 

意味付けをして認知する

 

もしも、朝起きて、雨が降っていたらどう思うでしょうか?

 

 

「雨はやだなぁ」

「憂鬱だなぁ」

「仕事に行きたくないなぁ」

 

 

そう思うかもしれませんし、

 

 

「恵の雨だ」

「雨の匂いって素晴らしい」

 

 

そう思う人もいるかもしれません。

 

ここで大切なことは、

「憂鬱」でできた雨も、

「恵み」という物質でできた雨も存在しないということです。

 

「ただ、雨が降っている。」

 

その事実に、

「憂鬱」や「厄介」というネガティブな意味づけや、

「恵み」というポジティブな意味づけをしているだけに過ぎないのです。

 

 

 

「雨が降っている」、「仕事うまくいかない」、「女房に小言を言われた」

など、環境や出来事や他人の行動を認知した際に、

ぼくたちは様々な意味づけをします。

 

 

そのとき、心はそれらに奪われてしまうことがあるということを意識し、

それが暴走してしまわないように、感情を「しっかりと感じる」ことが、

あらゆるものから発せられているメッセージを、

正確に素早く読み解く第一歩であるように思います。

 

このように考えると、

幸せな人とは、

「なにか特別なものを持っているから」

というわけではなく、

「幸せをしっかりと感じられる能力を備えている」からなのだと言えるのでしょう。

 

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全てのこどもたちが成長過程を通して、

あらゆるものに込められたメッセージを

読み解く鍵を見つけだすということについて教えられ、 

そうした自覚と期待を持って育ち、

明確な目的と好奇心と共に、あらゆるものを観察する力を

養ってゆくことを願っています。

 

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